2015.12.30 Wednesday

おそば屋のおかあさんと、帰ってきた編み物たち。

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    昨日最後まで楽しみたい、と書いた。

    今日のお昼におそば屋さんに行く。
    いつもの行きつけのお店。
    お馴染みのおかあさん(お給仕してくれる方)と
    一年のあいさつを交わす。
    「おねえちゃん(私はこのおかあさんからおねえちゃんと呼ばれている)、
    一年間よくがんばったもんねー」といってもらう。
    編み物の展示の帰りによく大荷物で来て
    おそばを食べて帰っていたから
    おかあさんは私の活動を少し知っているのだ。

    帰ってきて昼寝をしていたら私のふるさとから
    展示を終えた編み物たちが帰ってきた。
    ぱんぱんで送った段ボールはだいぶ空きになって帰ってきた。
    全然売れないと思っていたので驚きだ。
    しかもいくつも作品が売れていた。
    うれしくてたまらない。

    おかあさんが「よくがんばったね」といってくれた
    言葉がよみがえった。
    おかあさんは預言者だったのかもしれないし、
    これががんばりの集大成だったのかもしれない。

    全然苦労はなかったけれど(肩こりとぎっくり腰以外は)
    本当の楽しい一年だった。

    あと一日、まだまだ楽しむぞ。

    2015.12.29 Tuesday

    ぎりぎりまで楽しもう、ひつじちゃん。

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      もう片付けるとかあきらめた。
      でも本はだいぶ選別した。
      これまで自分の持っている本は財産だと思っていたけれど
      図書館をバックアップだと考えると途端に価値観が変わった。
      きっと他にもこの考え方で行けるはず。
      今年を振り返るとかしない。
      未年を最後の最後まで楽しみたい。
      あと2日あるもんねー。

      2015.12.28 Monday

      今日借りた本

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        明日から図書館はお休みに入る。借りる人、返す人、読みに来ている人。いつもの図書館だった。図書館で働いている人は明日から休みだからうれしいだろう。

        江國香織、松家仁之、湯川豊「新しい須賀敦子」
         最近須賀敦子を読んでいない。
         図書館に全集がないようだから、自分で買った方がいいかもしれない。
         私は須賀敦子を読むたびに思う。
         この人の書いたものを読むのではなく、この人の視点になりたい。
         そんなの無理なんだけど、無理だからこそあこがれる。


        江國 香織,松家 仁之,湯川 豊
        集英社

        2015.12.25 Friday

        今年の大発見を分析する。

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          ぎりぎり年賀状、終える。
          コメントを書き始めると楽しくて、
          会いたいなという人、
          元気かなという人、
          楽しく年賀状書けた。

          去年は天皇誕生日からクリスマスにかけて
          原宿でグループ展と個展をしたので
          かなりカレンダーを意識した生活だったけれど
          今年は予定を入れない週だったので
          淡々とした12月の終わりごろという日々だった。

          こうして定位置で暮らしていると
          問題が発生し
          問題が解決していく様を
          駅に座って通過する電車を見てるようだった。
          もちろん自分で動かないと解決しないこともあるけれど
          できないこととできることがわかってくると
          無理しないし
          ざわざわしなくなった。

          落ち着いて暮らしていると
          自分がどういう人と関係していて
          どういうふうに影響しあっていて
          これからどういうふうにしていけばいいかということが
          なんとなくわかってくる。
          だから自然と、あの人とはもう終わってしまいそうだなというのもわかる。
          もちろんまた違う展開になるかもしれないけれど、
          なんかもう気持ちが繋がっていないというのがわかるし
          それはきっと相手も同じように感じているから
          結果がなんとなく見えるのだろう。
          これまでどんだけ焦った人間関係、
          しがみついていく人間関係だったことだろう。

          自分が変わるということはつきあう相手も変わるということだ。
          これは2015年、大きな発見だ。
          こんな大切なことがわかった今年はすごい。
          やっと大人の入り口に立てたのかもしれない。

          2015.12.22 Tuesday

          今日借りた本

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            「銀河鉄道の夜」を少し読んだのだけれど、はじまりが悲しい。どの時代もこういう悲しみを抱えて生きている人がいるんだ。もっと子供の時に読めば最後まで読めたのかもしれない。

            予約した本を取りに図書館へ。

            「ヴィヴィアンの楽しいドミノ編み」
             ドミノ編みはなんとなく分かっていた。
             編み方をちゃんと見てみたくて借りた。
             つなげて編むことができなくて一回ずつ糸を切るのか。
             ちょっと残念。

            「まんがで読破 罪と罰」
             まんがならば例えドストエフスキーでもあっという間である。
             ロシアで語り継がれる物語と、
             日本の物語ではどういう違いがあるのだろうか。

            柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控(一)」
             今回の目玉。
             柴田錬三郎ははじめて(だと思う)。
             ドラマでは田村正和だった?
             ドラマ見てみたい。


            ドストエフスキー,バラエティアートワークス
            イースト・プレス

            2015.12.20 Sunday

            やりたいことと無理しないこと。

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              12月もいよいよ下旬。今月は大きくいうと忙しかったけれど、編み物は計画的にちゃんと進められたし、映画「007 スペクター」も公開日に観て、矢野顕子さとがえるコンサートもゆっくり聞けた。友達にもちゃんと会えたし、買いたいものもちゃんと買えた。こんなに自分が時間を管理できるなんてちょっと驚きである。
              やりたいことをやると並行して、嫌なことを無理しないという方針を最近守っている。これまで断りにくいことを自分に無理して引き受けたり足を運んでいた。自分の都合で決めていいことってそう多くない。その中でやりたくないんだったらそれだって自分の都合に含められる。もちろんやりたいということも自分の都合だ。やりたいもやりたくないも同じ種類に分類できるようになって人生楽になった。伝え方にもよるけれど受け止めてもらえるものだ。
              昨日お風呂に入っていて新しい作品の構想を思いついたから今日早速やってみよう。作りかけたものをやめるということも同じ種類の選択肢だと思えば、無理して作らないということも分かってきた。

              2015.12.15 Tuesday

              今日借りた本

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                林ことみ「アフガン編みいろいろ シングルフックとダブクルック」
                 ダブルフックアフガンの編み方を勉強したくて借りた。
                 先生はかなり研究している。
                 しかしまだ開発の余地があるような気がする。

                宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
                 明日の電車の中で読む本を探して岩波文庫コーナーへ。
                 そういえば「銀河鉄道の夜」って知らないかもと思い手に取る。
                 ジョバンニという名前が出てくる。
                 なんか不思議。


                川崎の図書館は相互貸出ができるからどんな本でも借りられる。
                読書家にとってこんな天国あるだろうか。


                2015.12.14 Monday

                フェルディナンド・フォン・シーラッハ著「カールの降誕祭(クリスマス)」を読みました。

                0
                  フェルディナンド・フォン・シーラッハ著
                  「カールの降誕祭(クリスマス)」
                  東京創元社

                  久しぶりにフェルディナンド・フォン・シーラッハの本が出た!
                  と喜んで読み始めたら、往復の電車の中で読み終わってしまった。
                  短い三つの話。
                  短いけれどそれぞれの男の一生を語るような内容で、猟奇的だったり、
                  破滅的だったりする。

                  今日歩きながらこの物語のことを考えた。
                  これは作り話というよりもよくある犯罪の話。
                  とりたてて珍しくないような、けれど恐ろしい。
                  犯罪を犯す人は、悪いことをするというのとは別の考えでしているのではないかと。
                  悪いとわかっていてもいなくても関係ない。
                  自分の論理で人を殺したり、苦しめたりしている。
                  これは犯罪じゃなくてもいえることで、人間は誰しも自分の論理で生きている。
                  これまでそういう切り口で描かれた物語って案外なかった、のかも。


                  フェルディナント・フォン・シーラッハ
                  東京創元社

                  2015.12.12 Saturday

                  今日の決意はものすごく大切。手帳にも書き写そう。

                  0
                    とうとう名刺を作ろうと思っています。

                    糸車があればどんどん糸が紡げるなと思ったけれど、
                    手紡ぎのうまくいかない感じを大切にしようと思い続けることにしました。

                    本は減らすことなく、できる限り読んでいくことにしました。

                    編み物の技術ではやっていないものこそ研究する価値があると気付きました。
                    これまで技術を追求するのは向いてない気がしていましたが、
                    これからはやってみることにしました。

                    年が明けたら体を鍛えます。

                    2015.12.11 Friday

                    江口寿史と石川直樹。

                    0
                      最近見たふたつの展示について。

                      川崎市市民ミュージアムで「江口寿史展 KING OF POP」を見てきました。
                      昔、弟の買っていた少年ジャンプを読んでいた。それはもうジャンプ全盛期で「Dr.スランプ」「北斗の拳」「キャッツアイ」「聖闘士星矢」(違ったかな、これは読んでなかったし)などなどどこを開いてもおもしろい漫画ばかりだった。その中にあった「ストップひばりくん」。しばらく忘れていたけれど、この展示を見て「そうだ、ひばりくんは男だった」と思いだした。かわいい、男の子。今ならそんなにびっくりしないけど30年前はなかなかの衝撃だった。
                      改めて江口寿史の作品をながめてみるとやはり女の子がかわいい。絵がうまい。ファッションも研究している。しかも男子が好きそうな女の子、かわいさ、ファッションを形にしている。そうか、あの時代、男子はこういう女の子好きだったんだー、と。

                      銀座CHANELのCHANEL NEXUS HALLで「Naoki Ishikawa Photo Exhibition "K2"」を見てきました。
                      石川直樹がK2に登頂するときに書いていたブログを読んでいたので、その過程も結果的に頂上まで行けなかったことは知っていた。しかしスポンサーがCHANELだということは知らなかった。私はCHANELのものを買ったことはないけれど、こういう文化をバックアップする方針はいいなと思う。
                      雑踏の中から始まり、山道を経て、氷河を越え、K2の麓にたどり着く。自然の厳しさが伝わってくる。立ち入り禁止の表示が日常的に存在する日本にいると、肌で感じる「危険」がわからなくなってくる。自分で判断できない。
                      自然と真正面から対峙した時にどう感じるのかはまだ間接的にしかわからない。この写真展は危険を伝えるものではないけれど、結果的に登れなかったということは大きな危険が目の前にあったからだろう。
                      最近、植村直己の番組を目にすることが多く、単独登頂とか北極単独横断とかこのK2とはもっと異次元の冒険だったことだろう。どちらもすごい。どちらも真似できない。知ることはできる。

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